国際秩序の危機
自由民主主義を問い直す
世界を「民主主義にとって安全なものにする」。それは、1917年4月2日ウッドロウ・ウィルソン大統領が合衆国連邦議会で、帝政ドイツに対する宣戦布告における、戦争の目的として宣言した言葉である。これは、自由主義的(リベラル)な国際主義の本質を具体化するものとして認識されてきたが、同時に西側の自由民主主義(リベラル・デモクラシー)への生存をかけて第一次世界大戦後の国際秩序を改革するための喧伝とも理解されている。
ウィルソンが自由民主主義を語った1900年代から、私たちは第二次世界大戦を経て、そして冷戦を乗り越えた。冷戦の終結により、1990年代は世界が最も「リベラルの瞬間」に近づいた時期として、冷戦後の最初の10年間は民主主義と市場の繁栄が世界中で確認され、この冷戦後に誕生したかのように見える秩序をジョン・アイケンベリーをはじめとする学者は「リベラルな国際秩序」と表現した。しかし、この流れは続かなかった。21世紀以降、自由民主主義とリベラルな国際主義は後退し、反対勢力である「非自由主義・独裁・ナショナリズム・保護主義・勢力範囲・領土修正主義」が拡大を進めている。今日、リベラルな国際秩序は、変容、後退、漂流、もしくは消滅してしまったと言えるのかもしれない。何よりも、2001年の9.11のテロをはじめ、気候変動危機、米中貿易摩擦、ロシア・ウクライナ戦争とガザ危機、世界中の選挙の様子を通して、リベラルな国際秩序の危機とその国際秩序を支えていた自由民主主義が問われている様子を、私たちは日常的にそして現実的に痛いほど感じている。
今日、私たちの住む世界は、ウィルソンが100年以上前に目指したような民主主義にとって安全な世界であろうか。また、リベラルな国際秩序や自由民主主義の実現・維持の難しさを目の当たりにした私たちは、そのような民主主義にとって安全な世界を本質的に望み、希望を持つことができているだろうか。はたまた前提として、私たちは今日の「国際秩序」や「自由民主主義」の姿を正しく理解し考えることはできているだろうか。これらの問いは、私たちが生きる時代を正確に認識するとともに、未来に向けて時代を創造していくために考えていかなくてはならない。
53期十大学合同セミナーでは、「国際秩序の危機」を掲げ、「自由民主主義を問い直す」ための議論をする。具体的には、「国際秩序」と「自由民主主義」それぞれの概念とその関わりを見出し、各セクションで具体的な事例研究を通して、「国際秩序の危機」を設定し、「自由民主主義を問い直す」ための分析を行う。その過程の中で、国内政治と国際政治の繋がり、過去・現在・未来へと進む時代の認識、各セクションの固有の問題の特徴、などへの理解を深めていくことが予想される。また、十大学合同セミナー特有の「学生の視点」を大切にした理論や事例の選択・分析・研究方針を拓いていくことを目指す。
外交軍事セクション
53期セクション
セクション設⽴意図・経緯
外交軍事分野に焦点を当て、「国際秩序の危機」を定め、「自由民主主義を問い直す」議論をする。
外交分野では、非民主主義国家(権威主義、専制主義)や非民主主義的政党の台頭により国家同士の政治的・軍事的緊張が高まり、対立に繋がる可能性がある。また、国際機関においても民主主義的価値観に沿った意思決定過程や構造が正常に働かない事例や逆に働いているからこそ起きている問題が見られる。一方軍事分野では、軍事費など軍事に関わる事項に関して民主主義的な政策決定・実行が行われず、国民の意思が反映されないという関係性がある。また、トランプ政権に代表されるようなポピュリズムの政治現象により、政治代表者の(外交)軍事に関する政策が偏り、国際政治におけるその国の行動を制限または拡大させるという事例もある。これらの問題に加えて、新領域と言われる宇宙・海洋・サイバー空間や、核・AI・バイオなどの科学技術の発展が、上記のような外交的・軍事的問題を全体的に複雑化しているという点も重要である。
このように外交軍事分野における国際秩序の危機は、国際レベル・国内レベル両方における民主主義・非民主主義的思想が相互的に影響しあい、引き起こされる。外交軍事分野における国際秩序の危機の事例を設定し、民主主義を問う形で分析してほしい。
国際経済セクション
53期セクション
セクション設⽴意図・経緯
戦後西側諸国が主導し形成してきたと言える国際秩序は、リベラルな価値観を多分に含むものであった。しかし現在、市場経済の恩恵を受けながらも自らの独裁的な政治体制は変えない中国が影響力を強めていることや、ロシアによるウクライナ侵攻に伴い経済圏、ひいては秩序が変容している。また、経済的格差の拡大や途上国での政権の腐敗など既存の自由民主主義に付随する資本主義に伴って起こっていた問題も拡大を続けている。
そこでこのセクションでは国際的な経済分野での「国際秩序の危機」に関して、「自由民主主義」がどのような影響を及ぼしているか、またはどのような関係があるかを問い直す。自由民主主義がどのように国際秩序に影響を与えているのかや、経済分野におけるさまざまな事柄が民主主義という政治体制に与えている影響などを論じてほしい。また、明らかな「リベラル国際秩序」を取り扱う絶対的な必要性はなく、リベラルとは一見無縁に見える「国際秩序の危機」に関する事例について取り扱い、そこに自由民主主義の要素を見出す、という方向性の議論をすることもできる。
人権・人道セクション
53期セクション
セクション設⽴意図・経緯
21世紀は「人権の世紀」と呼ばれ、世界的に人権の尊重が求められている。不平等な社会においては民主主義が成り立たず、また、民主主義がないところで自由(権利)が保障されることは難しい。権利と平等と民主主義は切り離せない関係にある。しかし、民主主義の集団的性格により、少数派・個人の意見が制約され、時に侵害される場合がある。
現在の国際社会では、民主主義的価値観のもと国際人権章典や国際人道法が定められている。人権分野においては、国際人権規約の批准の有無に関わらず、また権威主義的国家・民主主義国家下両方において、様々な人権侵害が行われている現状がある。これらの問題らの問題は国際会議などで取り上げられることで、当事国のみの問題にとどまらず、国際社会の問題として認識される。人道分野においては、人道的介入時に自由民主主義の価値に基づいて、本来の目的である人権侵害の排除だけでなく、より自由民主主義的政治体制へ変換を狙うという側面や、民主主義国・非民主主義国の間において介入に対する意見の相違が生じるという側面があり、これは国際秩序の混乱の一因となっている。
これらの実情と具体的な事例を踏まえ、現在の国際秩序の危機から、自由民主主義の価値下におかれる人権・人道の問題を分析し議論を行ってほしい。
地球環境セクション
53期セクション
セクション設⽴意図・経緯
環境問題は日を追うごとに深刻さを増している。私たちは未来の地球に対して責任を持ち、持続可能な社会の実現に向けて行動することが求められている。
欧州では、気候市民会議を設けて幅広い社会階層からの意見を集うことで、社会的に公正な環境政策を模索しようとする動きがあるが、実際に行われる政策と会議に参加した市民が求めた政策には差異が存在している現状がある。一方米国では、2024年のアメリカ大統領選において再選したドナルド・トランプは米国をパリ協定から再離脱させる方針であり、大国である米国が国際的枠組みから外れることは環境分野における国際秩序を揺るがす可能性がある。さらに、トランプは途上国の気候変動対応を支援する緑の気候基金への資金拠出も撤回する可能性を示唆し、米国がグローバルサウスの国々との協調路線から外れることになれば、西側陣営の求心力の低下につながる。
また前提として、国家は安全保障や経済成長といった世界で生き残るための問題を環境問題よりも重要視する傾向がある。それは、多くの国民が長期的な問題よりも現状の改善を求める傾向にあるからだ。そして、主張するものが利益を獲得する原理を持つ民主主義において、主張する術を持たない将来世代は不利益を被ることになる。このような観点から、民主主義政治体制は環境問題解決の弊害となりうるのではないかという根本的な問いも存在する。
これらの点を踏まえて、地球環境分野に焦点を当てた「国際秩序の危機」を定め、環境問題の原因・理解・解決に繋がる「自由民主主義」を問い直す議論をしてほしい。
情報社会セクション
53期セクション
セクション設⽴意図・経緯
今日、前例のない速さで発展する情報分野はリベラル国際秩序を揺らがし、私たちに自由民主主義の価値や可能性を問いている。
より広い範囲で拡散される偽情報とプロパガンダは国内外において世論の分極化と陰謀論の拡散を助長させ、選挙や立法などをベースとする民主的意思決定の混乱を招く。また、国家や企業による情報の監視・遮断・介入はインターネットという自由表現の場を脅かすことで情報社会を自由民主主義的価値観から乖離させる一方、デジタル権威主義を堅固にする。これらの状況は国内にとどまらない。ハイブリッド戦争が戦時・平時に関わらず拡大していることや、サイバー攻撃やハッキング攻撃等の問題が引き起こされていることで、国際社会においても問題視されている。また、AIなど新技術の普及は倫理や規制の問題を引き起こし、特に規制の段階で様々なアクター同士(民間企業・国家・その他)の関係を揺るがし、法の支配に基づく国際秩序を乱している。
このように、情報社会における国際秩序の危機を認識し、自由民主主義を問い直すことは無数の情報に囲まれて今日を生きる我々にとって欠かせないテーマである。本セクションでは、情報分野をテーマに国際秩序の危機と自由民主主義の変容について分析してほしい。